カプリブルーのfacebookページ じっくり読める最新情報をどうぞ イタリアリゾート最新情報はtwitterでどうぞ 今すぐfollow me ! RSSフィードはこちら


  • 詳細情報

    ドゥオモ
    Duomo

    - 海洋都市国家の首都・国際商業都市の歴史の証人 -


    アマルフィの守護聖人である聖アンドレア(Sant'Andrea)に献じられたドゥオモ(Duomo)は、アマルフィの歴史と栄華が色濃く凝縮された貴重な建築である。南イタリア本土にありながら、かつて交易のあったビザンチン(Bizantino)、イスラム(Saraceno)からの影響を受けた建築には、広場に佇み見上げるだけで遥かな異国の情緒が感じられる。

     この建造物は、"アマルフィのドゥオモ”とひとまとめにとらえるより、それぞれの時代と文化の背景が構造や様式に反映された、宗教建築の複合体と考えたほうがわかりやすい。

     複雑な構造と多彩な建築様式が、建設と改装修復、再現に関わるアマルフィの宗教的、文化的な歴史を物語っている。 


     ■ 建築の構造と歴史

     最も初期の建築は、正面左手、現在はドゥオモ博物館になっている旧聖堂(*)部分である。西暦833年以前に遡るアマルフィの最初の聖堂として、さらに古い初期キリスト教会の基礎上に建てられた。
    (*旧聖堂という名称は一般的ではない。ここでは便宜上、磔刑のキリストの聖堂(Basilica del Crocifisso)を旧聖堂と称する。)
     
     この聖堂の向かって右側に987年、現在の主身廊となる建築が建てられ、旧聖堂と接続することによって、6つの側廊をもつ特異的な大聖堂となった。 
     13世紀に聖アンドレアの遺骸を納めた地下礼拝堂(Cripta)の増設と前面のアトリウム(atrio 柱廊玄関)を含めた拡張工事が行われている。鐘楼(campanile)は1世紀近い期間をかけて1276年に竣工した。同じく13世紀に旧聖堂左手の天国の回廊(Chiostro del Paradiso)が増設されている。


     ■ 中世以降の改装と復旧

    中世には新旧2つの聖堂が一体化した構造だったが、16世紀のトレント公会議(Concilio di Trento)の結果、新旧の聖堂は分離されバロック様式に全面改装された。 旧聖堂内部は漆喰が塗られてイスラム的な特徴が消し去られた。
     1931年以降、60年の歳月をかけてバロック様式の改装部分が取り除かれ、もともとのロマネスク様式が復元された。

    正面の大階段(Scalinatella)は歴史が浅く、1728年の竣工でありそれまで人々は脇の小さな階段から大聖堂へと登っていた。


     ■ ファサード (facciata)

     アマルフィの景観を代表する現在のファサードは、1861年に崩壊したバロック様式のものに代えて、1891年に新たに作られたものである。

     ファサードの破風には、ヨハネ黙示録に由来するキリストとその前にひれ伏す者たちの姿が、ドメニコ・モレッリ(Domenico Morelli)によるモザイクで描かれている。ファサードの下部にはゴシック様式の壁がんに12使徒(Dodici Apostoli)がそれぞれ描かれている。ファサードの屋根は修復の時期の違いのためか、左右で勾配が異なっている。


     ■ アトリウム (Atrio)

     正面の大階段からつながるアトリウム(柱廊玄関)は、13世紀初めに増築されたものである。
     アトリウムの正面は、ムーア様式のアーチが大理石の細い柱に支えられた美しい構図をなし、内壁は二色の凝灰岩のブロックで造られている。
     柱廊内部の壁には、ドメニコ・モレッリの弟子、パオロ・ヴェトリ(Paolo Vetri)による、キリストと聖アンドレアを示す福音書の場面のフレスコ画がある。聖堂内部へ入る中央の入口は人物像と花柄の幾何学模様で飾られた大理石の扉口に、1060年コンスタンチノープルで鋳造された青銅の扉が嵌めこまれている。


     ■ 鐘楼 (Campanile)

     1180年から1276年という長い期間をかけて建てられた鐘楼には、ムーア様式の特徴が強く現れ、ロマネスク様式がはっきりした大聖堂内部と好対照をなしている。 
     どっしりとした四角い石の基礎に支えられた2、3層目の部分には、優雅な二連窓と三連窓が明けられ、上層に至るほど軽快に見える視覚効果を与えている。最上層の鐘室は交差する小アーチ状の、黄色と緑のマヨルカ焼きのタイル模様が白い下地に映えている。


     ■ 大聖堂 (Duomo)

     987年、総督マンソーネ1世(Mansone I)によって建てられた。当初は内部を円柱で区切られた3廊式の建築構造であったが、旧聖堂と接続することにより、6つの身廊をもつ広大で特異な構造となった。 
      
     現在の建築は18世紀初めに、バロック様式に改装されたものである。

    旧聖堂との間は仕切られ、身廊を支えていた円柱は色鮮やかな大理石で覆われた角柱に置き替えられた。金箔で飾られた天井には、聖人の生涯と殉教のテーマが描かれている。
     
     内陣の中程にはドゥオモの拡大と市街整備に大きく貢献し、目抜き通りにその名を残す枢機卿ピエトロ・カプアーノ(Pietro Capuano)の石棺を納めた祭壇がある。
     1712年に完成した主祭壇にはポジターノ(Positano)のサンタマリア・アッスンタ教会(Ch.di S.Maria Assunta)の前身であったサンタマリアとサンヴィート修道院(Abbazia di Santa Maria e San Vito)の古い祭壇の大理石が使われ、側面の17世紀の説教壇には12世紀の説教壇のモザイクが利用されている。祭壇正面の聖アンドレアの殉教(Martirio del S.Andrea)画と、後陣の小ドームのフレスコ画は1715年のデル・アスタ(Del Asta)の作品である。

     左右の側廊には10の小礼拝堂があり、17〜18世紀の宗教画とさまざまな時代の大理石や木製の彫像が配されている。右側の側廊に入り口のある、地下礼拝堂(Cripta)には1208年にコンスタンチノープルから運ばれた聖アンドレアの遺骸が納められている。 周囲には祭壇、ブロンズの聖人像が配され、フレスコ画が交差ヴォールトの天井を飾っている。アニエロ・ファルコーネ(Aniello Falcone)作の1610年のフレスコ画にはビザンチンロマネスク様式であった当時の大聖堂の姿が唯一再現されており建築史上重要である。
     左の側廊の礼拝堂の間には壁に塗りこめられた2つの扉の跡があり、中世にはここが旧聖堂に接続されていた。


     ■ 旧聖堂(Basilica del Crocifisso)

     大聖堂左の磔刑のキリストの聖堂(Basilica del Crocifisso)。9世紀に遡るアマルフィ最初の聖堂で、聖母マリア、聖コズマとダミアーノ(S.Maria Assunta, S.Cosma e Damiano)に献じられた。

     当初は三廊式の構造であったが、山側の側廊は天国の回廊を建設する際に取り壊され、中央の広い身廊と海側の側廊が残されている。身廊の山側には13世紀から14世紀のフレスコ画が描かれた、2つの礼拝堂が並んでいる。聖堂内部はドゥオモ博物館(Museo Diocesano)となっており、聖堂の歴史に関する資料に加えて15世紀の大司教アンドレア・デ・パレアレア(Andrea de Palearea)の遺体を納めた大理石の石棺が展示されている。左手にはさらに歴史をさかのぼる、古い初期キリスト教会跡の壁画と石柱の一部が残されている。

     反宗教改革の時代に旧聖堂は改名され、大聖堂から分離され隅々までバロック様式に改装された。特にイスラム的要素は徹底的に消し去られた。1931年、アマルフィの人々は英断を下し、以降60年の歳月と努力を傾けて往時の姿への修復を完遂させた。 1961年の調査結果からはこの聖堂がキリスト教会であると同時に、イスラムのモスク的な要素を擁していたことが示唆されている。

     海洋都市国家として繁栄を遂げた最盛期のアマルフィは、地中海世界の諸国から多くの商人や船乗り達が集う国際商業都市であった。ドゥオモは市民のみならず、異国からやってくる多くの人々にとっても精神的支柱としての機能を担い、その開かれた場所に様々な国籍の人々が集っていることこそが、アマルフィの栄華を示す誇り高い光景であったのではなかろうか。



    入場無料(天国の回廊、美術館は3.00ユーロ)
    開館時間  7:30 - 19:00
    (10:00 - 17:30は有料エリアからのみ入場可能)
    Tel.089 871059


    カプリブルーのfacebookページ じっくり読める最新情報をどうぞ イタリアリゾート最新情報はtwitterでどうぞ 今すぐfollow me ! RSSフィードはこちら


このエリアの観光関連情報